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「土田 和歌子選手」とのサポート契約締結のご報告
2022.01.01この度、ワミレスコスメティックス株式会社はパラアスリート土田和歌子選手とサポート企業の一社として契約を締結しました。
詳細はこちらからご覧ください。
1998年長野パラリンピックの金メダリストの方との出逢いをきかっけに、パラスポーツのサポートを始め、その後2000年より、昭和記念公園で開催される車椅子マラソンを応援。活躍したお子さんにレーサー(競技用車椅子)を贈呈し、またその後引き継がれた日産カップまで毎年、社員のボランティア参加とレーサーの贈呈を継続してきました。
土田選手との出逢いもまた車椅子マラソンであり、そのご縁で2013年には弊社情報誌WINDSのゲストとしてもお招きすることができました。パラスポーツの応援をし始めてから20年を超えた今、スポンサーの一社としてお声をかけていただいたことは時代からの呼びかけであると感じています。wamilesの掲げるSDGsの大きな目標の一つ『女性たちの活躍する環境を整える』の実践として、「2024年パリパラリンピック」までの3年間、ご愛用者の皆様と共に土田選手の応援をしてまいります。
【略歴】
土田 和歌子 Wakako Tsuchida
パラアスリート。1974年10月15日生、東京都出身。高校2年の時に交通事故に遭い車いす生活となる。
1993年アイススレッジの講習会に参加したことがきっかけで、日本で最初にアイススレッジスピー
ドレースを始める。1998年長野冬季パラリンピックでは1500mで世界記録を更新し金メダルを獲
得。1000mでも金メダルを獲得し2冠を達成。100m、500mでも銀メダルを獲得した。
1999年からは陸上競技に転向し、2001年には当時のマラソン世界記録を樹立。2004年アテネ
夏季パラリンピックの5000mで金メダル、マラソンで銀メダルを獲得し、『日本人史上初となる夏・
冬パラリンピック金メダリスト』となった。2005年には結婚し、2006年に長男を出産。復帰戦となっ
た2008年北京パラリンピックでは5000mレース中のアクシデントに巻き込まれ重傷を負い、マラ
ソン種目に出場出来ず帰国、2ヶ月に及ぶ入院生活を送る事となった。その間、自分自身と向き合
い競技復帰を決意し再起を目指した。2012年ロンドンパラリンピックでは日本選手団主将と云う
大役を務め出場するも、またしてもマラソンレース中に転倒し負傷しながらも完走し5位入賞となっ
た。2016年リオパラリンピックにはマラソン種目1本に絞り出場。惜しくもトップと1秒差の4位に終
わる。2017年からはトライアスロン種目にも挑戦し、2020年東京パラリンピックには、トライスロン
種目とマラソン種目で代表に選出され、夏冬合わせて8度目の出場を果たし、トライスロン9位、マ
ラソン4位となった。また、東京オリンピック開会式では競技場内最終聖火ランナーにも抜擢され第
4走者を務めた。2024年パリパラリンピックを自身の競技者としての最終目標とし、マラソン種目
で悲願の金メダル獲得を目指す。
座右の銘「逆境に耐えて咲く花こそ美しい」
【略歴】
土田 和歌子 Wakako Tsuchida
パラアスリート。1974年10月15日生、東京都出身。高校2年の時に交通事故に遭い車いす生活となる。
1993年アイススレッジの講習会に参加したことがきっかけで、日本で最初にアイススレッジスピー
ドレースを始める。1998年長野冬季パラリンピックでは1500mで世界記録を更新し金メダルを獲
得。1000mでも金メダルを獲得し2冠を達成。100m、500mでも銀メダルを獲得した。
1999年からは陸上競技に転向し、2001年には当時のマラソン世界記録を樹立。2004年アテネ
夏季パラリンピックの5000mで金メダル、マラソンで銀メダルを獲得し、『日本人史上初となる夏・
冬パラリンピック金メダリスト』となった。2005年には結婚し、2006年に長男を出産。復帰戦となっ
た2008年北京パラリンピックでは5000mレース中のアクシデントに巻き込まれ重傷を負い、マラ
ソン種目に出場出来ず帰国、2ヶ月に及ぶ入院生活を送る事となった。その間、自分自身と向き合
い競技復帰を決意し再起を目指した。2012年ロンドンパラリンピックでは日本選手団主将と云う
大役を務め出場するも、またしてもマラソンレース中に転倒し負傷しながらも完走し5位入賞となっ
た。2016年リオパラリンピックにはマラソン種目1本に絞り出場。惜しくもトップと1秒差の4位に終
わる。2017年からはトライアスロン種目にも挑戦し、2020年東京パラリンピックには、トライスロン
種目とマラソン種目で代表に選出され、夏冬合わせて8度目の出場を果たし、トライスロン9位、マ
ラソン4位となった。また、東京オリンピック開会式では競技場内最終聖火ランナーにも抜擢され第
4走者を務めた。2024年パリパラリンピックを自身の競技者としての最終目標とし、マラソン種目
で悲願の金メダル獲得を目指す。
座右の銘「逆境に耐えて咲く花こそ美しい」